明治六年春、加見兵四郎は妻つねを娶った。その後、つねが懐妊した時、兵四郎は、をびや許しを頂きにおぢばへ帰って来た。教祖は、
「このお洗米を、自分の思う程持っておかえり。」
と、仰せになり、つづいて、直き直きお諭し下された。
「さあさあそれはなあ、そのお洗米を三つに分けて、うちへかえりたら、その一つ分を家内に頂かし、産気ついたら、又その一つ分を頂かし、産み下ろしたら、残りの一つ分を頂かすのやで。
そうしたなら、これまでのようにもたれ物要らず、毒いみ要らず、腹帯要らず、低い枕で、常の通りでよいのやで。少しも心配するやないで。心配したらいかんで。疑うてはならんで。ここはなあ、人間はじめた屋敷やで。親里やで。必ず、疑うやないで。月日許したと言うたら、許したのやで。」
と。
【現代の言葉にする】
明治6年の春、加見兵四郎さんは、つねさんという女性をお嫁さんにもらいました。
しばらくして、つねさんが赤ちゃんを授かると、兵四郎さんは「をびや許し」(妊娠・出産の安全を願うお祈り)をお願いしに、おぢば(教祖さまのお屋敷)へ帰りました。
教祖さまは言いました。
「このお洗米(おせんまい/神さまにお供えして清めたお米)を、自分が思うだけ、持って帰りなさい。」
そして、続けてこう教えてくれました。
「帰ったら、そのお洗米を三つに分けなさい。
・まず一つ目を、普段のときにつねさんに食べさせなさい。
・次に、赤ちゃんが生まれそうになったとき(二番目)に、また食べさせなさい。
・そして、赤ちゃんが生まれたあと(三番目)にも、食べさせなさい。
そうしたら、今までのように、特別なお守りや、特別な薬もいらないし、帯をきつく巻いたり、高い枕を使ったり、特別な準備をする必要もない。
いつも通り、ふつうにしていればいい。
少しも心配することはない。
心配してはいけない。
疑ってはいけない。
ここは人間がはじめて生まれた親里(おやさと/ふるさとのような場所)やから、必ず大丈夫。
月日(神さま)が『許した』と言ったら、本当に許しているのだから、信じていなさい。」
【ひとつずつ説明する】
◆「お洗米を持って帰る」
→ 神さまにお願いした、特別に清められたお米をもらうこと。信じる心のしるしです。
◆「三つに分けて食べる」
→ 赤ちゃんを無事に育て、無事に生まれるために、順番に心を込めていただくという意味です。
◆「特別な準備はいらない」
→ 神さまをしっかり信じるなら、特別な道具やまじないに頼らなくていい、という教えです。
◆「心配したらいけない」
→ せっかく神さまにお願いしたのに、心配すると、神さまを信じていないことになるからです。
◆「疑ってはいけない」
→ 本当に助かりたいなら、全部まかせる気持ちで信じることが大切だと教えています。
◆「ここは人間はじめの親里」
→ 神さまが最初に人間を作った場所だから、特別に力が働く場所だということです。
【ぜんぶまとめると】
赤ちゃんを無事に育て、生まれるためには、特別なものに頼る必要はありません。
神さまからいただいた清めのお米を、心を込めていただき、あとは心配せず、疑わず、神さまをしっかり信じきることが大切です。
神さまは、私たちが素直な心で信じたら、必ず守ってくださるのです。
【たいせつな教え(ポイント)】
「神さまを心から信じきることが大切」
「心配したり疑ったりせず、素直な心で任せる」
ということです。
不安になったり、疑ったりすると、神さまの助けを受けにくくなってしまいます。
だから、すべてを神さまにまかせて、安心して過ごす心が、一番大切なのです。