教祖は、ある日飯降伊蔵に、
「伊蔵さん、山から木を一本切って来て、真っ直ぐな柱を作ってみて下され。」
と、仰せになった。伊蔵は、早速、山から一本の木を切って来て、真っ直ぐな柱を一本作った。すると、教祖は、
「伊蔵さん、一度定規にあててみて下され。」
と、仰せられ、更に続いて、
「隙がありませんか。」
と、仰せられた。伊蔵が定規にあててみると、果たして隙がある。そこで、「少し隙がございます。」とお答えすると、教祖は、
「その通り、世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで。」
と、お教え下された。
【現代の言葉にする】
ある日、教祖さまは飯降伊蔵さんにこう言いました。
「伊蔵さん、山から木を一本切ってきて、まっすぐな柱を作ってください。」
伊蔵さんはさっそく山へ行き、木を切り出して、まっすぐな柱を作りました。
すると教祖さまは、
「伊蔵さん、一度その柱を定規(じょうぎ)で測ってみてください。」
と言われました。そして、
「すき間はありませんか?」
と、たずねました。
伊蔵さんが定規をあててみると、少しすき間がありました。
「少しすき間があります。」と答えると、教祖さまはこう言いました。
「そうです。世界の人たちが『これはまっすぐだ!』と思っていることでも、天の定規(=神さまの正しい基準)で測ると、少しずつずれているものなのですよ。」
【ひとつずつ説明する】
◆「山から木を切ってきて、まっすぐな柱を作りなさい」
→ 人は一生けんめい、自分では「正しい」と思って行動します。
◆「定規をあてて測ってごらん」
→ 自分の考えや行動を、本当に正しいかどうか、ちゃんと確かめなさいということです。
◆「少しすき間がある」
→ どんなに自分では「正しい」と思っても、少しはズレがあるものです。
◆「世界の人が正しいと思っても、天の定規で見るとズレがある」
→ 人間の考えには限界があり、神さまから見たら、完璧ではないということです。
【ぜんぶまとめると】
人は、自分では「まちがいなく正しい!」と思っていても、神さまの目で見たら、少しズレていることがあります。だから、自分の思いだけを信じるのではなく、神さまの教え(天の定規)に合わせて、心を正していくことが大切です、という教えです。
【たいせつな教え(ポイント)】
「自分だけを信じず、神さまの教えで心を正していこう」
ということです。
人は間違えるものだから、いつも「神さまの思いはどうかな?」と考えながら生きることが、ほんとうの「まっすぐな生き方」になるのです。