文久三年、桝井キク三十九才の時のことである。夫の伊三郎が、ふとした風邪から喘息になり、それがなかなか治らない。キクは、それまでから、神信心の好きな方であったから、近くはもとより、二里三里の所にある詣り所、願い所で、足を運ばない所は、ほとんどないくらいであった。けれども、どうしても治らない。
その時、隣家の矢追仙助から、「オキクさん、あんたそんなにあっちこっちと信心が好きやったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来なさったら、どうやね。」と、すすめられた。目に見えない綱ででも、引き寄せられるような気がして、その足で、おぢばへ駆け付けた。旬が来ていたのである。
キクは、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、
「待っていた、待っていた。」
と、可愛い我が子がはるばると帰って来たのを迎える、やさしい温かなお言葉を下された。それで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、教祖は、
「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
と、仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」と、何んとも言えぬ慕わしさが、キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。
こちらのエピソードも、信仰の本当の意味と、教祖の親のような愛情を教えてくれるとても大切なお話ですね。
【言葉の意味とやさしい説明】
文久三年(ぶんきゅうさんねん):今から160年以上前の昔の年(1863年)。 桝井キクさん:信心深い女性で、このお話の主人公。39歳。 伊三郎(いさぶろう):キクさんの夫。風邪からぜんそくになり、なかなか治らなかった。 おぢば(ぢば):天理教の教祖が住んでいたお屋敷(今の本部があるところ)。信仰の中心地。 教祖(きょうそ):天理教のはじまりの人で、神さまの教えを人々に伝えたやさしいお母さんのような存在。 旬(しゅん)が来ていた:「ちょうどよいときが来た」という意味。神さまが人を助けようとされる、その人にとっての“今こそ”のタイミング。
【ひとつずつ説明する】
キクさんの夫・伊三郎さんがぜんそくになり、どこへ行っても治らなかった。 キクさんは信心深くて、いろんな神社やお寺におまいりして、一生けんめいお願いしていました。でも、どこへ行っても治らなかったのです。 近所の人に「庄屋敷の神さまにおまいりしてみたら」とすすめられた。 それを聞いたとき、なんだか“見えないひも”でひっぱられるような不思議な気持ちになって、おぢばへ行くことにしました。 教祖さまは「待っていた、待っていた」とあたたかく迎えてくれた。 はじめて会ったのに、まるで自分の子どもが帰ってきたように、やさしく声をかけてくれました。 教祖さまは「今まで遠回りしてたんだね、ここへ来たらみんな来てるのに」と笑ってくれた。 この言葉を聞いてキクさんは、「こここそ本当の親だ」と心の底から感じたのでした。
【ぜんぶまとめると】
キクさんは、夫の病気をなおしたくて、いろんな神さまにお願いして歩き回りました。
でも、本当に大切な場所「おぢば」にはまだ来ていませんでした。
ある日、近所の人にすすめられて、ようやくおぢばにたどり着くと、
教祖さまはまるで本当のお母さんのように、あたたかく迎えてくれました。
キクさんは、そのやさしさに感動して、
「ここが本当の“親”なんだ」と心から思うようになったのです。
【たいせつな教え(ポイント)】
人は、ほんとうに大事な場所(ぢば)に、神さまの導きでたどりつく 神さまは、どんな遠回りをしても、待っていてくれている 教祖さまは、まるで親のように、みんなをあたたかく迎えてくださる
このお話は、「いろんなところで探していた答えが、実はすぐ近くにあった」
ということを教えてくれる信仰の原点ともいえるお話です。