『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。』
このお言葉は、教祖さまが人々の苦しみを本当に理解し、心から助けるためには、自らもその苦しみを経験する必要があるということを教えてくださっている大切な教えです。
【言葉の意味とやさしい説明】
貧に落ち切れ:とても貧しくなること、どん底まで苦労を経験すること。 落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん:自分が苦しんでみなければ、人のつらさは本当にわからないということ。 水でも落ち切れば上がるようなもの:水も一番下まで落ちると、また上に上がろうとする。人も同じで、どん底に落ちたら、それ以上落ちることはなく、後は上がるだけ。 一粒万倍(いちりゅうまんばい):たった一つの良いことでも、何万倍にもなって返ってくるという意味。
【ひとつずつ説明する】
つらさを知らないと、人をほんとうには助けられない → お金がない、食べ物がない、つらい、さみしい… そんな経験をした人だからこそ、同じような人の気持ちがよくわかる。 どん底まで落ちても、それが終わりじゃない → 水と同じで、一番下まで行ったら、あとは上がるしかない。つまり、希望はある! 心からの努力や思いやりは、あとで何倍にもなって返ってくる → たとえば、少しのやさしい心でも、時間がたつと大きな幸せとなって返ってくるということ。
【ぜんぶまとめると】
教祖さまは、「人のたすけをするには、まず自分が一番苦しいところを経験しなければならない」と教えてくれています。そして、苦しみを経験しても、それは終わりではなく、希望のはじまりでもあるということ。
さらに、まごころをこめた生き方は、あとで必ず大きなごほうびとなって返ってくるという「神様のしくみ」を教えてくださっているのです。
【たいせつな教え(ポイント)】
人をほんとうにたすけるには、その人の気持ちを自分でわかることが大切 どんなに苦しくても、そこからまた上にあがれる希望がある やさしさやまごころは、あとで大きな幸せとなって返ってくる
この教えは、「たすけあいの心」を育てるうえでとても大事です。