天保九年十月の立教の時、当時十四才と八才であったおまさ、おきみ(註、後のおはる)の二人は、後日この時の様子を述懐して、「私達は、お言葉のある毎に、余りの怖さに、頭から布団をかぶり、互いに抱き付いてふるえていました。」と述べている。
ありがとうございます。このエピソードも、天理教の教えの深い部分を伝える貴重なお話ですね。以下の形式で、小学生でもわかるように解説します。
【言葉の意味とやさしい説明】
天保九年(てんぽうくねん):今からおよそ190年以上前の江戸時代のこと。 立教(りっきょう):天理教が始まった出来事。教祖さまが「神のやしろ」となられた日。 おまさ・おきみ(後のおはる):教祖さまの子どもたち。当時まだ子どもでした。 お言葉のある毎に:教祖さまを通して神さまの言葉が語られるたびに。 述懐(じゅっかい):あとになって思い出を語ること。
【ひとつずつ説明する】
教祖さまに神さまが宿られたとき、子どもたちはとても驚いた → それまで普通のお母さんだった人が、急に神さまのお言葉を話し始めたので、怖くてふるえてしまった。 おまささんとおきみさんは、布団をかぶってふるえながら抱き合っていた → まだ子どもだったので、何が起きているのか分からず、とても不安で怖かった。 でも後から、その時のことをしっかり覚えていた → 怖かったけれど、大切な思い出として心に残った。
【ぜんぶまとめると】
天理教が始まった時、神さまの力が現れたのはとても特別で強い出来事だったので、近くにいた子どもたちにとってはとても怖く、不思議な体験だったのです。
でもその出来事が、後に信仰の大切さを伝える思い出となって残ったことがわかります。
【たいせつな教え(ポイント)】
神さまのはたらきは、人の思いを超えて現れることがある → 最初はこわく感じることでも、あとで大切な意味があるとわかる。 どんなに小さくても、心に残る体験は信仰の道しるべになる → 子どもたちの感じた「こわさ」も、大切な信仰のきっかけ。 変化を受け入れるには時間がかかることもある → 急な変化にびっくりしても、だんだんとその意味がわかるようになる。
このエピソードは、「信仰が始まるとき、必ずしもすぐに理解されるわけではない」ということを、やさしく教えてくれていますね。
逸話編はいつも思うのですが、読むタイミングその時々で自身の解釈が変わるものと思っています。