天理教教祖伝逸話編【四十四 雪の日】をAIで子供向けに説明


 明治八、九年頃、増井りんが信心しはじめて、熱心にお屋敷帰りの最中のことであった。

 正月十日、その日は朝から大雪であったが、りんは河内からお屋敷へ帰らせて頂くため、大和路まで来た時、雪はいよいよ降りつのり、途中から風さえ加わる中を、ちょうど額田部の高橋の上まで出た。この橋は、当時は幅三尺程の欄干のない橋であったので、これは危ないと思い、雪の降り積もっている橋の上を、跣足になって這うて進んだ。そして、ようやくにして、橋の中程まで進んだ時、吹雪が一時にドッと来たので、身体が揺れて、川の中へ落ちそうになった。こんなことが何回もあったが、その度に、蟻のようにペタリと雪の上に這いつくばって、

 なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと

と、一生懸命にお願いしつつ、やっとの思いで高橋を渡り切って宮堂に入り、二階堂を経て、午後四時頃お屋敷へたどりついた。そして、つとめ場所の、障子を開けて、中へ入ると、村田イヱが、「ああ、今、教祖が、窓から外をお眺めになって、

『まあまあ、こんな日にも人が来る。なんと誠の人やなあ。ああ、難儀やろうな。』

と、仰せられていたところでした。」と、言った。

 りんは、お屋敷へ無事帰らせて頂けた事を、「ああ、結構やなあ。」と、ただただ喜ばせて頂くばかりであった。しかし、河内からお屋敷まで七里半の道を、吹雪に吹きまくられながら帰らせて頂いたので、手も足も凍えてしまって自由を失っていた。それで、そこに居合わせた人々が、紐を解き、手を取って、種々と世話をし、火鉢の三つも寄せて温めてくれ、身体もようやく温まって来たので、早速と教祖へ御挨拶に上がると、教祖は、

「ようこそ帰って来たなあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで。あちらにてもこちらにても滑って、難儀やったなあ。その中にて喜んでいたなあ。さあさあ親神が十分々々受け取るで。どんな事も皆受け取る。守護するで。楽しめ、楽しめ、楽しめ。」

と、仰せられて、りんの冷え切った手を、両方のお手で、しっかりとお握り下された。

それは、ちょうど火鉢の上に手をあてたと言うか、何んとも言いあらわしようのない温かみを感じて、勿体ないやら有難いやらで、りんは胸が一杯になった。

【1. 現代の言葉にする】

明治8年か9年ごろのこと。信仰を始めたばかりの増井りんさんは、河内(今の大阪方面)から奈良の「おぢば(天理)」へ、寒い冬の日に歩いて帰っていました。

その日は1月10日。朝から大雪が降り、風まで強くなっていました。りんさんは、凍えるような寒さの中を歩き続け、ようやく奈良の額田部(ぬかたべ)という場所の「高橋(たかばし)」までたどりつきました。

その橋は、幅がわずか90センチほどしかなく、手すりもない雪だらけの橋。風が吹けばすぐに落ちそうな危ない橋でした。りんさんは、靴を脱ぎ、はだしになって、手と足を使って橋をはいながら進みました。

橋の真ん中あたりで、ものすごい吹雪にあおられて、川に落ちそうになるたびに、りんさんは地面にぺたっとはいつくばって、

「なむてんりわうのみこと、なむてんりわうのみこと…」

と、必死に神様にお願いをしながら、なんとか橋を渡りきりました。

午後4時ごろ、ようやくお屋敷にたどり着き、つとめ場所の障子を開けると、村田イヱさんが、

「ちょうど今、教祖様が窓から外をご覧になって『まあまあ、こんな日にも人が来る。なんと誠の人やなあ。ああ、難儀やろうなあ』とおっしゃってたところです」

と話してくれました。

りんさんは「無事に帰ってこられて、ほんまによかった」と心の底から喜びました。

でも、雪と寒さで体が凍ってしまい、手も足も動かなくなっていました。まわりの人たちが手伝って、靴紐をほどき、火鉢を三つも用意して、体をあたためてくれました。

そして、体があたたまったころ、教祖様にご挨拶へ行くと、教祖様はやさしくこうおっしゃいました。

「よく帰ってきたなあ。親神様が手を引いて、ここまで連れてきたんやで。あっちでもこっちでも滑って、ほんまに大変やったなあ。でもその中で、よう喜んでいたなあ。神様は、ぜんぶ見て、ぜんぶ受け取って、しっかり守ってくれるで。楽しんでいくんやで。」

そう言って、教祖様はりんさんの冷たい手を、両手でしっかり握ってくれました。

そのぬくもりは、火鉢の火よりも、もっともっとあたたかくて、りんさんは涙が出るほどありがたく、うれしくて、胸がいっぱいになりました。

【2. ひとつずつ説明】

① 大雪の日のおぢば帰り

りんさんは、信心のまごころを持って、雪の中でも神様の元へ歩いて向かいました。雪の日でも「行く」というその気持ちが、何よりの信心です。

② 橋をはいつくばって渡る姿

危ないと思っても、やめずに「どうしても行きたい」という強い心がありました。それは、自分の力ではなく「神様にお願いしながら行く」という信頼の姿です。

③ 神様を呼ぶ祈り「なむてんりわうのみこと」

天理教の神様に願いを届ける祈りの言葉です。困難の中で、心をこめてこの言葉を唱えれば、神様はちゃんと聞いてくださいます。

④ 教祖が見ていたこと

りんさんが来ることを、教祖様は心で感じ取っていました。それほど、神様と心が一つになっている人の信心は、見えないところでもちゃんと伝わっています。

⑤ 手を握るぬくもり

教祖様がりんさんの手を握ったとき、そこに神様のぬくもりがあったのです。「よくがんばったな」「よく帰ってきたな」という気持ちが、手を通して伝わったのです。

【3. まとめ】

このお話は、「どんなに困難でも、神様を信じて進む心」と「神様はそのまごころを必ず見てくださっている」ということを、私たちに教えてくれます。

りんさんは、雪・風・寒さという大きな困難の中でも、神様へのまごころを忘れずに進みました。だからこそ、神様と教祖様はその心を受け取って、あたたかく守ってくださったのです。

【4. 大切な教え】

困難の中にこそ、信心の姿があらわれる  楽なときではなく、苦しいときにこそ、信じる心が本物かどうかが試されます。 神様は、目に見えないところでちゃんと見てくださっている  どんなに離れていても、神様は私たちの心を見て、守ってくださいます。 祈りと努力は、必ず報われる  「なむてんりわうのみこと」と唱えながら進む姿に、神様は応えてくださいます。 愛とぬくもりで人を迎える  教祖様のように、人の苦労を理解し、あたたかい手で迎える心こそ、信仰の中で大切な姿です。