教祖は、一枚の紙も、反故やからとて粗末になさらず、おひねりの紙なども、丁寧に皺を伸ばして、座布団の下に敷いて、御用にお使いなされた。お話に、
「皺だらけになった紙を、そのまま置けば、落とし紙か鼻紙にするより仕様ないで。これを丁寧に皺を伸ばして置いたなら、何んなりとも使われる。落とし紙や鼻紙になったら、もう一度引き上げることは出来ぬやろ。
人のたすけもこの理やで。心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで。心も、皺だらけになったら、落とし紙のようなものやろ。そこを、落とさずに救けるが、この道の理やで。」
と、お聞かせ下された。
ある時、増井りんが、お側に来て、「お手許のおふでさきを写さして頂きたい。」とお願いすると、
「紙があるかえ。」
と、お尋ね下されたので、「丹波市へ行て買うて参ります。」と申し上げたところ、
「そんな事していては遅うなるから、わしが括ってあげよう。」
と、仰せられ、座布団の下から紙を出し、大きい小さいを構わず、墨のつかぬ紙をよりぬき、御自身でお綴じ下されて、
「さあ、わしが読んでやるから、これへお書きよ。」
とて、お読み下された。りんは、筆を執って書かせて頂いたが、これは、おふでさき第五号で、今も大小不揃いの紙でお綴じ下されたまま保存させて頂いている、という。
【1. 現代の言葉にする】
教祖様は、たった一枚の紙でも、「使い終わったから」と言って粗末にせず、おひねり(お供えのお金)を包んだ紙なども、大切にシワをのばして、座布団の下に敷いたりして、最後まで大切に使っておられました。
そして、こんなお話をされました:
「シワシワのままの紙は、もう落とし紙や鼻をかむ紙にしかならへん。でも、丁寧にシワをのばして置いておけば、また色々なことに使える。人のたすけも同じや。心がシワだらけになった人には、話の理(ことわり)で、心のシワをのばしてあげるんや。落とし紙みたいに心を放っておいたら、その人はもう立ち上がられへん。でも、そうならんように助けるのが、この道なんやで。」
ある日、増井りんさんが教祖様のところへ来て、
「おふでさきを写させてください」
とお願いすると、教祖様は、
「紙はあるんか?」
とたずねました。
りんさんが「今から丹波市に買いに行ってきます」と言うと、教祖様は、
「そんなことしてたら時間がかかるから、わしが括って(とじて)あげよう」
と言われ、座布団の下から使える紙を出し、大小バラバラの紙の中から墨のついていないものを選んで、教祖様ご自身の手で紙をとじてくださいました。
そして、
「さあ、わしが読んでやるから、ここに書きよ」
と仰って、おふでさきを読み上げられ、りんさんがそれを書き写しました。
これが「おふでさき第五号」で、いまも大小不揃いの紙で作られたまま大切に残されています。
【2. ひとつずつ説明】
① 紙を大切にされた教祖様
たとえ古くて使いづらい紙でも、「これはまだ使える」として、ていねいに扱われました。物を大事にする心は、神様を敬う心とつながっています。
② 「紙と人の心は同じ」
シワだらけの紙は使いづらいけれど、ていねいにのばせばまた使えます。人の心も同じで、くしゃくしゃになった心(落ち込んでいる心)も、話してあげたり、思いやりでふれてあげれば、また元気になれるという教えです。
③ 増井りんへのやさしさ
教祖様は、わざわざ紙を買いに行かせず、自分で紙をよりぬいて束ね、「わしが読んでやるから書きなさい」とおっしゃって、すぐに行動できるよう助けられました。
④ 「大小不揃いの紙」の意味
見た目はバラバラでも、そこには教祖様の愛情と、信仰の姿がこめられています。だからこそ、その紙は今でも大切に保存されています。
【3. まとめ】
このお話は、「物を大切にすること」と「人の心を大切にすること」が、実は同じ心から生まれているということを教えてくれます。
たとえボロボロになっていても、「まだ使える」「まだ救える」と思う気持ちこそが、天理教の“たすけの道”です。
教祖様の一つ一つの行動には、「見えない心の教育」が込められており、それを受け取ったりんさんも、教祖様のまごころにふれて、信仰を深めていきました。
【4. 大切な教え】
物の扱いは心のあらわれ 紙一枚でも粗末にせず、大切に使う心は、人にも物にも感謝する「陽気ぐらし」の基本です。 人の心もシワをのばすように助ける 心が落ち込んだり迷っている人には、話ややさしい思いやりで、心のシワをのばしてあげましょう。それが“人を助ける”ということです。 今あるもので間に合わせる創意工夫 特別なものがなくても、身近にあるもので工夫すれば信仰の実践はできます。教祖様はそれを手本として見せてくださいました。 信心の宝は、形でなく心にある 大小バラバラの紙でも、そこに込められた“誠の心”があるからこそ、それは今も大切にされ続けているのです。