天理教教祖伝逸話編【三十七 神妙に働いて下されますなあ】をAIで子供向けに説明


 明治七年のこと。ある日、西尾ナラギクがお屋敷へ帰って来て、他の人々と一しょに教祖の御前に集まっていたが、やがて、人々が挨拶してかえろうとすると、教祖は、我が子こかんの名を呼んで、

「これおまえ、何か用事がないかいな。この衆等はな、皆、用事出して上げたら、かいると言うてない。何か用事あるかえ。」

と、仰っしゃった。すると、こかんは、「沢山用事はございますなれど、遠慮して出しませなんだのや。」と答えた。その時、教祖は、

「そんなら、出してお上げ。」

と、仰っしゃったので、こかんは、糸紡ぎの用事を出した。人々は、一生懸命紡いで紡錘に巻いていたが、やがて、ナラギクのところで一つ分出来上がった。すると、教祖がお越しになって、ナラギクの肩をポンとおたたきになり、その出来上がったのを、三度お頂きになり、

「ナラギクさん(註、当時十八才)、こんな時分には物のほしがる最中であるのに、あんたはまあ、若いのに、神妙に働いて下されますなあ。この屋敷は、用事さえする心なら、何んぼでも用事がありますで。用事さえしていれば、去のと思ても去なれぬ屋敷。せいだい働いて置きなされや。先になったら、難儀しようと思たとて難儀出来んのやで。今、しっかり働いて置きなされや。」

と、仰せになった。

【現代の言葉にする】

明治7年のある日、西尾ナラギクさんが屋敷に戻ってきて、他の人たちと一緒に教祖さまの前にいました。みんなが帰ろうとすると、教祖さまが娘のこかんさんに、「この人たちは何か用事を頼んだあとで帰ると言っているよ。あなたは用事ないの?」と声をかけました。こかんさんは、「たくさんありますが、遠慮して言いませんでした」と答えると、教祖さまは「じゃあ、出しなさい」とおっしゃいました。

こかんさんが糸を紡ぐ仕事を頼むと、みんな一生懸命に糸を巻きました。そのうちナラギクさんのところで一つ巻き終わったとき、教祖さまが来てナラギクさんの肩を軽くたたき、その巻いた糸を三度いただき、「ナラギクさん、若いのによく働いてくれますね。この屋敷は、用事をする気があれば、いくらでも用事があります。働いているかぎり、この屋敷からは出ていけないようになりますよ。今しっかり働いておきなさい。あとで苦労しようと思ってもできなくなりますよ」と言われました。

【ひとつずつ説明】

教祖が人々を見送る際の気づかい みんながただ来て帰るのではなく、「用事を頼んだ上で帰る」という姿勢を大切にしていた。 「用事をする=人のために動く」ことが尊いとされている。 こかんの遠慮と素直な返答 多くの用事があっても控えていたこかんに対して、教祖はその心をくみ取って「出してよい」と認めた。 「遠慮しすぎず、必要なことは言ってよい」という教え。 糸紡ぎの仕事とナラギクの働き 若いナラギクが真面目に糸を紡ぐ姿を教祖が見て感心された。 教祖は、その努力を見逃さず、優しくほめてくださる。 働く心の大切さと屋敷での生き方 「働く心があれば、ここにはいつまでもいられる」という教え。 「苦労しようと思ってもできない」ほどに守られるという、信仰と誠実な働きの報い。

【まとめ】

このお話は、**「働く心」「人の役に立とうとする心」**の大切さを教えています。教祖は、用事を通して人が成長し、つながりができることを大切にされていたのです。若くても真面目に働けば、神様は見てくださり、守ってくださるということが語られています。

【大切な教え(ポイント)】

働く心があれば、居場所は与えられる 自分から進んで用事をする人は、どこでも大切にされる。 若くても誠実な心は尊ばれる 年齢に関係なく、一生懸命な姿勢が神様に喜ばれる。 遠慮しすぎず、素直に言葉にする 心の内を正直に伝えることも、人との信頼を深める一歩。 「今」の行いが未来をつくる 今、しっかり働いておくことが、後の安心・幸福につながる。