明治七年十二月四日(陰暦十月二十六日)朝、増井りんは、起き上がろうとすると、不思議や両眼が腫れ上がって、非常な痛みを感じた。日に日に悪化し、医者に診てもらうと、ソコヒとのことである。そこで、驚いて、医薬の手を尽したが、とうとう失明してしまった。夫になくなられてから二年後のことである。
こうして、一家の者が悲歎の涙にくれている時、年末年始の頃、(陰暦十一月下旬)当時十二才の長男幾太郎が、竜田へ行って、道連れになった人から、「大和庄屋敷の天竜さんは、何んでもよく救けて下さる。三日三夜の祈祷で救かる。」という話を聞いてもどった。それで早速、親子が、大和の方を向いて、三日三夜お願いしたが、一向に効能はあらわれない。そこで、男衆の為八を庄屋敷へ代参させることになった。朝暗いうちに大県を出発して、昼前にお屋敷へ着いた為八は、赤衣を召された教祖を拝み、取次の方々から教の理を承わり、その上、角目角目を書いてもらって、もどって来た。
これを幾太郎が読み、りんが聞き、「こうして、教の理を聞かせて頂いた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます。我が家のいんねん果たしのためには、暑さ寒さをいとわず、二本の杖にすがってでも、たすけ一条のため通らせて頂きます。今後、親子三人は、たとい火の中水の中でも、道ならば喜んで通らせて頂きます。」と、家族一同、堅い心定めをした。
りんは言うに及ばず、幾太郎と八才のとみゑも水行して、一家揃うて三日三夜のお願いに取りかかった。おぢばの方を向いて、
なむてんりわうのみこと
と、繰り返し繰り返して、お願いしたのである。
やがて、まる三日目の夜明けが来た。火鉢の前で、お願い中端座しつづけていたりんの横にいたとみゑが、戸の隙間から差して来る光を見て、思わず、「あ、お母さん、夜が明けました。」と、言った。
その声に、りんが、表玄関の方を見ると、戸の隙間から、一条の光がもれている。夢かと思いながら、つと立って玄関まで走り、雨戸をくると、外は、以前と変わらぬ朝の光を受けて輝いていた。不思議な全快の御守護を頂いたのである。
りんは、早速、おぢばへお礼詣りをした。取次の仲田儀三郎を通してお礼を申し上げると、お言葉があった。
「さあさあ一夜の間に目が潰れたのやな。さあさあいんねん、いんねん。神が引き寄せたのやで。よう来た、よう来た。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう、聞かしてやってくれまするよう。」
と、仰せ下された。その晩は泊めて頂いて、翌日は、仲田から教の理を聞かせてもらい、朝夕のお勤めの手振りを習いなどしていると、又、教祖からお言葉があった。
「さあさあいんねんの魂、神が用に使おうと思召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるから、楽しんで通るよう。用に使わねばならんという道具は、痛めてでも引き寄せる。悩めてでも引き寄せねばならんのであるから、する事なす事違う。違うはずや。あったから、どうしてもようならん。ようならんはずや。違う事しているもの。ようならなかったなあ。さあさあいんねん、いんねん。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう。目の見えんのは、神様が目の向こうへ手を出してござるようなものにて、さあ、向こうは見えんと言うている。さあ、手をのけたら、直ぐ見える。見えるであろう。さあさあ勇め、勇め。難儀しようと言うても、難儀するのやない程に。めんめんの心次第やで。」
と、仰せ下された。
その日もまた泊めて頂き、その翌朝、河内へもどらせて頂こうと、仲田を通して申し上げてもらうと、教祖は、
「遠い所から、ほのか理を聞いて、山坂越えて谷越えて来たのやなあ。さあさあその定めた心を受け取るで。楽しめ、楽しめ。
さあさあ着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあさあ楽しめ、楽しめ、楽しめ。」
と、お言葉を下された。りんは、ものも言えず、ただ感激の涙にくれた。時に、増井りん、三十二才であった。
【現代の言葉にする】
明治7年の年末ごろ、増井りんさんという女性が、ある朝、急に目が腫れてとても痛くなりました。だんだん悪くなって、ついには目が見えなくなってしまいました。家族みんなが悲しんでいたとき、12歳の息子が「天竜さんという人にお願いしたら助けてもらえる」と聞いてきました。
そこで、家族は3日3晩、一生けん命に「なむてんりわうのみこと」と唱えながらお願いしました。すると、3日目の朝、りんさんは不思議と目が見えるようになったのです。お礼参りに行くと、教祖様から「それは神様が引き寄せたのだ」と教えてもらい、心からありがたく思いました。
【ひとつずつ説明】
突然の病と家族の悲しみ りんさんは急に目が見えなくなり、医者でも治せず、家族はとても悲しみました。 信じて願う心 息子の幾太郎が「助けてもらえる場所がある」と聞き、家族で信じて願うことにしました。 代参と「教の理」 男性の為八が代わりにお屋敷に行き、教えを聞き、御守護のしるし「角目角目(すみずみ)」を書いてもらいました。 強い心定めと三日三夜のお願い 家族全員で「たとえ火の中水の中でも通らせていただく」と心を決め、水をかぶる修行をしながら、3日3晩願いました。 奇跡の全快 3日目の朝、りんさんは本当に目が見えるようになりました。 教祖からのお言葉と励まし 教祖様から、「いんねん(前世からのつながり)で神が引き寄せた。これからは神の道具として使うから、楽しんで通りなさい」とのお言葉をいただきました。
【まとめ】
この話は、「神様を信じて、心を定めてお願いすれば、不思議な守りをいただける」ということを教えてくれます。また、「苦しみや病気も、神様が人を引き寄せるためのご守護である」と教祖様は言われています。だからこそ、悲しみや苦しみの中でも、信じて通ることが大切だと教えているのです。
【大切な教え】
どんな苦しみも「神様の引き寄せ」 目が見えなくなったのも、神様がその人を神の道に引き寄せるためのきっかけだったと教えています。 心を定めて願えば道が開ける りんさんたちが心を一つにして願ったことで、不思議な助けがありました。 たすけの道は楽しんで通るもの 教祖様は、「どんな道でも楽しんで通るように」と励ましてくれました。信仰の道は苦しいだけではなく、喜びや感謝があるのです。 難儀も心次第で変わる 「難儀するのやない。めんめんの心次第や」と教えられています。つらいことも、心の持ちようで変えられるのです。