教祖は、ある時一粒の籾種を持って、飯降伊蔵に向かい、
「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍と言うのやで。三年目には、大和一国に蒔く程になるで。」
と、仰せられた。
【現代の言葉にする】
ある日、教祖は一粒の籾(もみ)を手に取り、飯降伊蔵さんにこう話されました。
「人間の生き方も、これと同じなんや。一粒の“真実の種”をまいたら、1年で200~300粒にもなる。さらに2年たつと、何万粒にも増える。これが“一粒万倍(いちりゅうまんばい)”ということなんや。3年目には、大和の国じゅうにまけるほどのたくさんになるで。」
【ひとつずつ説明する】
「一粒の籾(もみ)」ってなに? → これは、稲の種になる小さな粒。ここでは、「人間の心や行いの“たね”」のことを表しています。目には小さくても、大きく育つものの象徴です。 「真実の種を蒔く」とは? → 「まことの心」「正しい行い」「親切な行動」をすることです。人を助ける、うそをつかない、ありがとうの気持ちを持つ――そういう“本物の心”を人のためにまくという意味です。 「1年で200~300粒になる」とは? → 小さな一つの良い行いが、時間とともに何倍にもなって、人の心に広がっていくことを表しています。 「2年目には何万という数になる」って? → 自分がした小さな“まことの行い”が、まわりの人にも伝わって、その人たちも同じように良い行いをするようになれば、それはどんどん広がっていくよ、ということ。 「3年目には国じゅうに蒔けるほど」って? → たった一つのやさしさやまごころが、やがてたくさんの人を動かして、大きなうねりになる。社会全体に良い影響を与えるようになるという希望の教えです。
【ぜんぶまとめると】
このお話は、「まことの心(真実)をもって行動すれば、それは必ず周りに伝わって、大きな力になる」ということを教えてくれています。
最初はほんの小さなこと――あいさつ、ありがとう、ごめんね、親切な一言――それが“種”となって、やがてたくさんの人の心に届き、良い行いが広がっていくのです。
天理教では、「たすけ合い」や「喜び合い」の心をとても大切にしますが、それはまさにこの“真実の種”をまく生き方そのものです。
【たいせつな教え(ポイント)】
小さな行いにも、すごい力がある → どんなに小さなやさしさも、やがては大きな力になる。軽く見ないこと。 本当の心=真実をこめることが大事 → うわべだけでなく、まごころで人に接すること。それが“真実の種”になる。 続けることで、良いことは広がっていく → 1回で終わらせない。毎日こつこつと続けることで、種は育ち、広がる。 自分が始まりになれる → 誰かを変えたいと思うなら、まず自分が一粒の種になって、真実の行いを始めよう。
この教えは「伝道の心」や「布教」だけでなく、日々の生活の中でのちょっとした優しさや努力を大切にする意味でも、とても深いものです。