稿本天理教教祖伝逸話編【二十七 目出度い日】をAIで子供向けに説明


 明治五年七月、教祖が、松尾市兵衞の家へお出かけ下されて、御滞在中の十日目の朝、お部屋へ、市兵衞夫婦が御挨拶に伺うと、

「神様をお祀りする気はないかえ。」

と、お言葉があった。それで、市兵衞が、「祀らせて頂きますが、どこへ祀らせて頂けば宜しうございましょうか。」と、伺うと、

「あそこがええ。」

と、仰せになって、指さされたのが、仏壇のある場所であった。余りに突然のことではあり、そこが、先祖代々の仏間である事を思う時、市兵衞夫婦は、全く晴天に霹靂を聞く思いがした。が、互いに顔を見合わせて、肯き合うと、市兵衞は、「では、この仏壇は、どこへ動かせば宜しいのでございましょうか。」と、伺うた。すると教祖は

「先祖は、おこりも反対もしやせん。そちらの部屋の、同じような場所へ移させてもらいや。」

との仰せである。

 そちらの部屋とは、旧客間のことである。早速と、大工を呼んで、教祖の仰せのまにまに、神床を設計し、仏壇の移転場所も用意して、僧侶の大反対は受けたが、無理矢理、念仏を上げてもらって、その夜、仏壇の移転を無事完了した。そして、次の日から、大工四名で神床の工事に取りかかった。教祖に、

「早ようせんと、間に合わんがな。」

と、お急ぎ頂いて、出来上がったのは、十二日目の夕方であった。翌朝、夫婦が、教祖のお部屋へ御挨拶に上がると、教祖はおいでにならず、神床の部屋へ行ってみると、教祖は、新しく出来た神床の前に、ジッとお坐りになっていた。そして、

「ようしたな。これでよい、これでよい。」

と、仰せ下された。それから、長男楢蔵の病室へお越しになり、身動きも出来ない楢蔵の枕もとに、お坐りになり、

「頭が痒いやろな。」

と、仰せになって、御自分の櫛をとって、楢蔵の髪をゆっくりお梳き下された。そして、御自分の部屋へおかえりになった時、

「今日は、吉い日やな。目出度い日や。神様を祀る日やからな。」

と、言って、ニッコリとお笑いになった。夫婦が、「どうしてお祀りするのかしら。」と思っていると、玄関で人の声がした。ハルが出てみると、秀司が、そこに立っていた。早速、座敷へ案内すると、教祖は、

「神様を祀る段取りをされたから、御幣を造らせてもらい。」

と、お命じになり、やがて、御幣が出来上がると、御みずからの手で、神床へ運んで、御祈念下された。

「今日から、ここにも神様がおいでになるのやで。目出度いな、ほんとに目出度い。」

と、心からお喜び下され、

「直ぐ帰る。」

と、仰せになってお屋敷へお帰りになった。

仏壇は、後日、すっきりと取り片付けた。

【現代の言葉にする】

明治5年7月、教祖が松尾市兵衛さんの家に泊まって10日目の朝のこと。市兵衛さん夫婦が朝の挨拶に伺うと、教祖は、

「神様をお祀りする気はないかえ?」

と尋ねました。市兵衛さんが「どこに祀ればいいでしょうか」と尋ねると、教祖は仏壇のある場所を指さされました。

そこは、先祖代々の仏壇のある特別な部屋だったので、夫婦はとても驚きましたが、相談して納得し、仏壇を別の部屋へ移すことにしました。教祖は、

「先祖は怒らないし、反対もしないよ。あっちの部屋に移してもらいなさい。」

と優しく言われました。

お坊さんたちは大反対しましたが、仏壇を移し、次の日から大工さんたちが神様のための場所「神床(かみどこ)」を作り始めました。教祖に「早くせんと間に合わん」と急がされ、12日目の夕方に完成。

次の朝、教祖はその神床の前にじっと座られていて、「ようしたな。これでよい、これでよい」と褒めてくれました。

さらに、寝たきりの長男・楢蔵さんの髪を教祖自らが梳いてあげた後、

「今日は、神様をお祀りするおめでたい日やな」と、にっこり笑われました。

その後、信者の秀司さんが来て、教祖は「神様を祀る準備ができたから、御幣(ごへい)を作らせて」と言い、自ら御幣を神床に運び、神様をお迎えする祈りをされました。

最後に教祖は「今日からここにも神様がおいでになる。ほんまに目出度い日や」と喜ばれて、お屋敷へ戻られました。

【ひとつずつ説明する】

神様を祀る気がないかと聞かれたこと  → 教祖は、「神様を家で大事にする気持ち」を持つかをたずねられました。心の準備があるかを確かめたのです。 仏壇のある場所を神様の場所に選ばれたこと  → 神様を大切にするには、一番良い場所を差し出す「覚悟」や「信心」が求められます。 ご先祖様は怒らないと言われたこと  → 神様もご先祖様も、心からの信仰を喜ばれる。争うものではなく、共に見守ってくださる存在と教えてくださったのです。 大反対の中でも仏壇を移したこと  → 正しいと思ったことを、周りに反対されても、信じて実行する勇気が大切だと教えられます。 神床を大急ぎで作られたこと  → 神様をお迎えするのに、迷ってはいけない。信心の「真剣さ」や「行動の早さ」が大事。 教祖が新しい神床に座られたこと  → 神様がおいでになる場所が整い、それを本当に喜ばれている姿。神様が近くに感じられる瞬間。 教祖が寝たきりの楢蔵さんの髪を梳いたこと  → やさしい心。どんなに偉い人でも、人にやさしく寄り添うことの大切さ。 御幣を作って神様を迎えたこと  → 神様を祀るというのは、ただ形だけでなく、「心をこめること」が何より大事だとわかります。

【ぜんぶまとめると】

このお話は、「本当の信仰とは何か」「神様を家に迎えるとはどういうことか」を教えてくれる大切なできごとです。

自分の大切なものを差し出す勇気 周りの声に流されず、信じた道を進む覚悟 神様を迎えることを喜ぶ心 日々の生活の中で、人にやさしくすること

こういった、神様の教えを「心」で受けとめ、行動することの大切さを伝えてくれています。

【たいせつな教え(ポイント)】

神様は一番大事な場所にお迎えしよう  → 神様に来てほしいと思ったら、自分にとって大切な「場所」や「心」を差し出そう。 信じたことは勇気を持って行おう  → 周りがなんと言おうと、自分が「これが正しい」と思ったら、こわがらずに行動することが大切。 神様は心を見ておられる  → 立派な建物や形より、「心のこもった祀り方」を神様は一番喜んでくださる。 信仰は人へのやさしさにもつながる  → 神様を信じる心は、人に対するやさしさや思いやりの行動になって現れる。