稿本天理教教祖伝逸話編【二十三 たちやまいのおたすけ】をAIで子供向けに説明


松村さくは、「たちやまい」にかかったので、生家の小東家で養生の上、明治四年正月十日、おぢばへお願いに帰って来た。

 教祖は、いろいろと有難いお話をお聞かせ下され、長患いと熱のためにさくの頭髪にわいた虱を、一匹ずつ取りながら、髪を梳いておやりになった。そして、更に、風呂を沸かして、垢付いたさくの身体を、御手ずから綺麗にお洗い下された。

この手厚い御看護により、さくの病気は、三日目には、嘘のように全快した。

【現代の言葉にして】

松村さくさんは「たちやまい(流行り病の一種)」にかかり、生まれ育った小東家で療養していましたが、明治4年1月10日に、おぢば(天理教の本部)にお願いに帰ってきました。

教祖様は、さくさんに温かいお話を聞かせてくださり、長く患っていたことと熱のせいで髪に湧いていたシラミを一匹ずつ取って、丁寧に髪をとかしてくださりました。

さらに、お風呂を沸かして、さくさんの体にたまった垢を、教祖ご自身の手で綺麗に洗ってくださいました。

その心のこもった手厚い看病のおかげで、さくさんの病は三日目には嘘のようにすっかり治ってしまったのです。

【ことばの意味とやさしい説明】

たちやまい:今でいうインフルエンザや風邪のような、流行性の熱病。急に高熱が出る病気。 おぢば:天理教では、親神様が人間を初めてお創りになった“元の場所”。信仰の中心地であり、神様のふるさと。 お願いに帰って来た:「お願いづとめ」など、神様にお願いをするために教会や本部にお参りすること。 虱(しらみ):人の髪や体に寄生する小さな虫。衛生状態が悪い時代にはよく見られた。 御手ずから:教祖が自分の手で行ったという意味。人任せにせず、自ら世話をしてくださったことを表す。

【ひとつずつ説明】

病気にかかったさくが、おぢばに帰ったこと 信仰の中心である「おぢば」に帰ることで、親神様のご守護にすがろうという「陽気ぐらし」への願いが表れている。 病の時こそ、神様のもとへ帰るという行動が、信仰実践の姿。 教祖の語りと、虱取り、髪を梳くという行為 教祖は、さくさんをただ「病人」として見るのではなく、一人の大切な「子ども」として見守り、慈しんだ。 虱を取るという極めて細かく、世話のかかることを一つひとつ手ずから行う姿は、神様の深い愛情を表す。 お風呂を沸かし、身体を洗ってくださったこと 清めるという行為は、天理教で重要な「身の清め、心の清め」に通じる。 外側だけでなく、内側の心までも温かく洗い流してくださったことの象徴ともいえる。 病が三日で治ったこと 看病の物理的効果もあるが、それ以上に「神様の親心」にふれたさくさんの心が安らぎ、病が癒えたと考えられる。 信仰の力と、神様のご守護の確かさが現れた場面。

【まとめ】

松村さくさんは重い病で苦しんでいましたが、教祖のもとに戻ることで、言葉による慰めと、身の回りの丁寧な看病を受けました。

髪の虱を一匹ずつ取る、垢を落とすなど、教祖ご自身が全身全霊で世話をされました。

この深い愛と温もりに包まれることで、さくさんの病は三日で治ってしまいました。

これは、信仰の世界における「心の癒しと神の守護」の現れであり、実際の奇跡のような出来事として語り継がれています。

【大切な教え(ポイント)】

親神様の親心  病のときに見捨てず、寄り添い、丁寧に看病してくださる親のような心こそが、天理教の神様の姿。  私たちもその心をもって人に接することが大切と教えられる。 信仰の実践としてのおぢば帰り  苦しいときこそ、おぢば(神のふるさと)に立ち返り、神様の懐に飛び込むことが、回復や心の平穏への道。 身体と心の両方の清め  垢や虱を落とすという物理的な清潔さと同時に、言葉を通じた「心の癒し」も、信仰では一体として重んじられる。 温かい心遣いは奇跡を生む  教祖のように、相手の立場に立って心を尽くすことは、どんな薬よりも人を癒し、生きる力を与えることがある。