稿本天理教教祖伝 逸話編【二十一 結構や、結構や】をAIで子供向けに説明


 慶応四年五月の中旬のこと。それは、山中忠七が入信して五年後のことであるが、毎日々々大雨が降り続いて、あちらでもこちらでも川が氾濫して、田が流れる家が流れるという大洪水となった。忠七の家でも、持山が崩れて、大木が一時に埋没してしまう、田地が一町歩程も土砂に埋まってしまう、という大きな被害を受けた。

 この時、かねてから忠七の信心を嘲笑っていた村人達は、「あのざまを見よ。阿呆な奴や。」と、思い切り罵った。それを聞いて忠七は、残念に思い、早速お屋敷へ帰って、教祖に伺うと、教祖は、

「さあさあ、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで。」

と、お聞かせ下された。忠七は、大難を小難にして頂いたことを、心から親神様にお礼申し上げた。

【現代の言葉にする】

慶応4年(今から150年以上前)の5月中ごろのことです。山中忠七さんという人は、天理教を信じて5年ほどたっていましたが、その年は毎日ずっと雨が降り続いて、川があふれて大洪水になりました。村の田んぼや家が流されてしまうような大きな被害でした。

忠七さんの家も山がくずれて木がうまり、田んぼもたくさん土砂にうもれてしまいました。

まわりの人たちは「ほら見ろ、神様を信じているくせにこんな目にあってる。バカじゃないか」と、ひどく笑いました。

それを聞いた忠七さんはとてもくやしく思って、天理教の教祖(おやさま)のもとへ行って、どうしてこんなことになったのかをたずねました。

すると教祖は、「ああ、よかった、よかった。このことは、海の底まで届くくらいに神様にちゃんと伝わったから、これから先はきっとよいことがあるよ。たんのう(心から納得して受けとめること)しなさい。これで終わりじゃなく、これからがいいんだよ」と教えてくれました。

忠七さんは「大きな災難だったけど、もっと悪くなるのを神様が守ってくれたんだ」と思い、神様に心から感謝したのでした。

【ひとつずつ説明する】

大雨で村が大変なことになった  → 自然の力はすごくて、人の力ではどうにもならないことがある。 忠七さんの家も大きな被害を受けた  → 信仰していても、困ったことが起きることもある。でも意味がある。 村人に笑われて、バカにされた  → 人の言葉に心が傷つくこともある。でも信じている道をあきらめないことが大切。 教祖の言葉:「結構や、海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで」  → 大きな苦しみが、神様にしっかり伝わって、これからいい方向へ変わっていくという意味。 「たんのうせよ」=どんなことも心から納得して受けとめることが大切  → 困ったことも、「意味があることだ」と受けとめる心が、次の幸せにつながる。

【まとめ】

忠七さんは、大雨で自分の田や山を失ってしまう大きな災害にあいました。まわりの人に笑われても、信じてきた道をやめず、教祖にたずねました。教祖は、「これは神様にちゃんと届いたことだから、これから先がいいんだよ」と励ましてくれました。忠七さんは、「これは神様が守ってくれた証拠だ」と思い、心から神様に感謝しました。

【大切な教え(ポイント)】

たんのうする心が大切  → どんなに大変なことも、神様の思いがあると信じて、納得して受けとめることが、しあわせへの道です。 人に笑われても、信じる心を持ち続ける  → 信仰は、自分の心を強くする力。人の言葉ではなく、神様の声を信じることが大切。 つらいことは、後の喜びのもとになる  → 今が大変でも、神様は先の喜びを用意してくれている。だから、あきらめないで前を向こう。