稿本天理教教祖伝 逸話編 【三 内蔵】をAIで子供向けに説明


教祖は、天保九年十月二十六日、月日のやしろとお定まり下されて後、親神様の思召しのまにまに内蔵にこもられる日が多かったが、この年、秀司の足、またまた激しく痛み、戸板に乗って動作する程になった時、御みずからその足に息をかけ紙を貼って置かれたところ、十日程で平癒した。

内蔵にこもられる事は、その後もなお続き、およそ三年間にわたった、という。

このお話も、天理教のはじまりの中でとても大切なできごとを伝えています。教祖さまが「月日のやしろ」となられてからの具体的な様子から、親神様の働きと、たすけの姿がよくわかる場面です。

【言葉の意味とやさしい説明】

天保九年十月二十六日(てんぽうくねん じゅうがつ にじゅうろくにち):天理教がはじまった日。今から190年以上前。 月日のやしろ:教祖さまが、親神さまの思いを伝える体となったこと。 思召しのまにまに:神様のご意志のとおりに。 内蔵にこもられる:教祖さまが深く神さまのお心と一つになられ、表には現れず、じっとしておられる状態。 秀司(しゅうじ):教祖さまのお子さん。足が悪くなって苦しんでいた。 戸板(といた):動けない人を運ぶための木の板。今でいう「担架(たんか)」のようなもの。 息をかける・紙を貼る:教祖さまの霊的なはたらきで、たすけてくださった行い。 平癒(へいゆ):元気に治ること。

【ひとつずつ説明する】

教祖さまが「神さまのやしろ」になられた日が、天理教の始まりの日  → その日から、教祖さまは神さまのお心を人々に伝える特別な存在となられた。 それからは、神さまのお心のままに生活されるようになった  → 時には、神さまの力が強く働くため、じっとこもって動かれないこともあった。 ある日、息子の秀司さんの足がとても痛くなり、動けなくなった  → とてもつらい状態で、板の上に乗って運ばれるほどだった。 そのとき、教祖さまが自分でその足に「息」をかけて、「紙」を貼った  → 特別なお祈りのような意味がある。信仰の心と神さまの力を表している。 すると10日ほどで、痛みがなくなり元気になった  → 神さまのたすけの力があらわれた出来事として、伝えられている。

【ぜんぶまとめると】

天理教が始まって間もないころ、教祖さまは神さまの思いをそのまま生きる毎日を送られていました。ある日、息子が足の大けがでとても苦しんだとき、教祖さまは手当てをされ、その結果、神さまの不思議なたすけによって元気になったのです。

このように、教祖さまは神さまの思いを伝えるだけでなく、実際に人をたすける力を表してくださったのです。

【たいせつな教え(ポイント)】

神さまは、苦しんでいる人をほんとうに助けてくださる  → たすけは「心づかい」と「行動」であらわれる。 教祖さまは、神さまの思いをからだで伝えた存在  → お話やお祈りだけではなく、生活すべてが「おしえ」だった。 病気や困りごとに出会った時こそ、信仰の心が大切になる  → 「たすけてあげたい」という心と「信じる心」が奇跡を呼ぶ。

このエピソードをもとに、「家庭でできるたすけの心の実践」なども子ども向けに話しやすくできます。たとえば、「いたいところをさすってあげる」「ありがとうと言って手をあてる」などの形にすることも可能です。

ご希望があれば、そうした実践編もご用意できますよ。どうしましょうか?